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2026.2.8

飯田には なぜ街の中に「りんご並木」があるの?

代表の今牧です。

飯田市には、「りんご並木」があります。それも街の中に。

これって全国的に言ったら珍しいことです。

なぜって思ったこと、ありませんか?

1947年に飯田市の大半を焼き尽くした大火がありました。

飯田大火(いいだたいか)は、1947年(昭和22年)4月20日に長野県飯田市で発生した大火。その日は桜が満開で、お花見をしてた人も多かったと聞いています。焼損棟数は3,742棟、焼損面積は48万1985㎡、焼損面積の観点では戦後日本最大の市街地大火です。扇町辺りで出火した火事が、春の強風にあおられて火の粉が舞い、離れたところで火の手が上がりました。火は野底川の近く大門町まで登っていき、約10時間延焼し続けたそうです。

この大火の後、飯田市では火事に強い街づくりが行われました。街の家の裏に2m位の通路があるのはご存じですか?これは「離界線」と呼ばれ、避難のため、消火活動のために作られました。道路も広くし区画整理事業が行われました。

その時に、防火帯とした広い道を作ることになったのですが、そこにりんごの木を植樹することを、飯田東中学校の生徒たちが提案をしたのです。延長約400m。80年近い歴史のある「りんご並木」です。今も東中の生徒さんによって管理され続けています。

当時は、街の中にりんごがなっているのに、泥棒されないの?と不思議がる人がいたとか‥

私も東中の卒業生です。在校時は、頭にタオルを巻き箒を持って、りんご並木まで歩いて行って掃除したり草取りをしたり、そんな思い出があります。東中には、りんご並木を管理していくために「緑化部」という組織がありました。りんごの木も今は植え替えられて、美味しいりんごが獲れるようになりました。

飯田市のりんご並木は、長年地域の人々によって大切に育てられ、今もなおその役割を果たしています。大火の教訓を生かし、地域の防火帯としても機能しているこの並木道は、飯田市の重要な文化遺産となっているわけです。

当時の子供たちの想いを大事にしながら、「りんご並木」を大切に守っていきたいものです。